【学歴】坂手淳史は中学でラグビーデビュー!バレーボールから転身した理由は?

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坂手淳史さんはJAPAN LEAGUE ONE埼玉パナソニックワイルドナイツに所属するラグビー選手です。

2023年9月8日に開幕するラグビーワールドカップ・フランス大会が間近に迫ってきました。

今年も坂手選手は日本代表選手として選出され活躍が期待されます。

そんな坂手選手の中学からの学歴や小学生時代からキャプテンを努めたことについてご紹介したいと思います。

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目次

坂手淳史のプロフィール

坂手淳史さんのプロフィールを紹介したいと思います。

名前:坂手淳史(さかて・あつし)

ニックネーム:さかて、さかちゃん

生年月日:1993年6月21日 30歳(2023年9月現在)

出身地:京都府

身長:180cm

体重:104kg

血液型:A型

趣味:読書・映画鑑賞

好きな言葉:継続は力なり

所属:埼玉パナソニックワイルドナイツ

ポジション:フッカー(HO)

坂手選手のポジションはフッカー(HO)でチームの中ではやや小柄で器用な選手です。

ベンチプレスでは最高150kg持ち上げた事もある肉体の持ち主です。

中学から高校時代、帝京大学時代、現在のワイルドナイツで長年キャプテンとしてチームを引っ張ってきた経験があり、リーダーシップも高く評価されています。

坂手淳史の経歴

坂手淳史さんの経歴について紹介します。

2012年:京都成章高校卒業後、帝京大学に入学。

2015年:帝京大学ラグビー部の主将に就任。

    全国大学選手権7連覇に貢献

2016年:パナソニックワイルドナイツに加入。

アジアラグビーチャンピオンシップ第1戦韓国戦で途中出場で日本代表初キャップを獲得。

ジャパンラグビートップリーグ第3節の近鉄ライナーズ戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。

2017年:スーパーラグビーサンウルブズの2017年スコッドに追加招集される。

2019年:スーパーワールドカップ2019の日本代表に選出。

パナソニック ワイルドナイツの主将に就任。

    

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【学歴】坂手淳史は中学でラグビーデビュー!

坂手淳史選手の中学・高校・大学など学歴を紹介したいと思います。

  • 2006年:京都市立神川中学校 入学
  • 2009年:京都成章高等学校 入学
  • 2012年:帝京大学 入学

京都市立神川中学校

京都市立神川中学校

住所:〒612-8487

京都府京都市伏見区羽束師菱川町741

℡:075-934-1505

中学にはバレーボール部がなかった!

中学に入学したら坂手選手は当たり前のようにバレー部に入部するものだと思っていたのでしょう。

ですが入学した京都市立神川中学校はバレーボール部がありませんでした。

幼なじみの南藤辰馬に誘われ入部

南藤辰馬さん

バレー部なくどうしたらよいか悩みをある友人に相談しラグビー部に入部することに決めます。

その友人は幼なじみのWTB(ウィング)南藤辰馬(元・花園近鉄ライナーズ)です。

右:南藤辰馬さん 左:坂手淳史さん(幼少期)

生まれた時から家族ぐるみの付き合い

南藤辰馬さんとは実家が近所で、母親同士が高校の先輩と後輩の仲で、坂手選手が生まれた時から家族ぐるみの付き合いがる幼なじみでした。

小学校時代はバレーボールをやっていた坂手選手に「ラグビーをやったら」と薦めてくれたそうです。

南藤辰馬さんと歳は3つ年上です。

先見の明があったのでしょう。。

京都成章高等学校

京都成章高等学校

住所:〒610-1106

京都府京都市西京区大枝沓掛町26-11

℡:075-332-4830

高校日本代表に選出

坂手淳史さんは高校時代のラグビーでは機動力と突破力に定評がある選手でした。

2011年1月1日 全国高校ラグビーでの坂手淳史選手

高校3年生の時にはキャプテンとして花園(全国高校ラグビーフットボール大会)に高校1年と3年の時に出場した経験があります。

チームを牽引し素晴らしい選手活動をされました。

帝京大学

帝京大学・八王子キャンパス

住所:〒192-0395

東京都八王子大塚359

℡:0120-508-739

大学2年生の時日本代表に

帝京大学時代に入ってからも輝かしい成績を残しています。

大学1年生の時、日本選手権パナソニック戦で前半途中から出場し、トップリーグの選手たちにビッグタックルを繰り返し大きなインパクトを残しました。

ジュニア・ジャパンやU20日本代表入りを果たして大学2年時には日本代表にも召集されました。

帝京大学時代の坂手淳史選手(右)
2016年1月10日[帝京大-東海大]7連覇を果たし胴上げされている坂手淳史選手

大学4年でキャプテン

坂手選手は大学4年生でキャプテンをつとめ7連覇の立役者の1人となりました。

この頃はキャプテンというキャリアは「失敗」の歴史でもあると語っており、「言葉の重み」について当時帝京大学の監督であった岩出雅之さんに指摘され続けて苦悩な日々も過ごしました。

「言いたいことは言っているのですが、自分の言葉で言えてなくて重みがなかったり、前の主将の真似をして、主将像を勝手に作ったりした自分もいました。何事も正解はなく、自分らしくやればいい。自分には自分の話し方がある。ただ、準備していかないといけないとは考えています。トーンも大事。言いたいことが先走って早口になってしまう時もありますが、その時はゆっくりのテンポに……と。いっぱい、失敗しているので、それがいまにつながっています」

Real Sportより引用

沢山の失敗と成功の繰り返しで今に繋がっていると語っていました。

キャプテンの難しさや苦悩があり大変な役割だとわかりますね。

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坂手選手が小学生からキャプテンでバレーボール一家だった!

坂手淳史選手の家族(実家)は父親と母親も元バレーボール選手であることから、小学生時代はバレーチームでキャプテンとして活躍していました。

坂手選手の父親

坂手選手の父親・坂手仁史さんは実業団での経験があるバレーボール選手でした。

きっと小さい頃からボールに触れていたので運動神経は抜群だとわかりますね。

母親もバレーボール選手だった

母親の坂手真弓さんもバレーボール選手であり坂手選手が一番影響をうけた人物もあるようです。

坂手選手がバレーボールを始めたきっかけは母親の真弓さんなんですね。

幼少期からボールに触れて遊んでいたのでしょう。

ボールの扱いが上手なのはラグビーにも活きている事がわかりますね。。。

バレーボールチームではアタッカーでキャプテンだった

バレーボールチームでのポジションはアタッカーで攻撃力が上手だったことがわかりますね。

そして坂手選手は小学校のバレーチームでもキャプテンを努めていました。

この頃からリーダーシップの素質があったのでしょう。

新しいキャプテンへバトンタッチ

現在は新しいキャプテン姫野和樹選手を支えながら活躍する選手へと成長されました。。。

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まとめ

いかがでしたか。

「坂手淳史の中学からの学歴まとめ、小学生からキャプテンでバレーボール一家だった」について調べてみました。

自国開催でベスト8入を果たした2019年の大会を超える成績を残すことを祈っています!

坂手淳史選手のこれからの活躍を応援しております!

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